気ままに日記

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zoom RSS 祖母に捧ぐ・・・・

<<   作成日時 : 2010/02/03 13:42   >>

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 祖母が亡くなってから早いものでもうすぐ1週間が経とうとしています。
(この祖母とは父方の祖母で、15年ほど前に特養に入所するまでは同居していました。3年前より脳梗塞を繰り返したり誤嚥性肺炎をおこしたため長期療養型病床群がある病院へと入院していました)
思えば、この1週間はとても忙しく祖母との永遠の別れを十分に受け入れる暇も悲しむ暇もなく・・・
とにかく目の前の役割を果たすだけで精一杯、ふと振り返ってみてもあっという間にこの数日が過ぎ去ってしまったように思います。

 今回の記事は、そうした数日間を少しだけ振り返り、自分の心中を整理し改めて祖母の死というものを受け入れるために綴りたいと思います。

 長々とまとまりのない文章になるかと思いますが、よろしければ暫しの間おつきあいいただければ・・・と思います。



〜急変〜

 病院に入院している祖母の急変を知らせる電話があったのは先週の水曜日、夕方5時過ぎ、夜勤者に引き継ぎを行いもうすぐ仕事が終わろうかとしているとき妹から職場へ電話がかかってきました・・・

 「ばぁちゃんが亡くなった・・・・」 と、電話の向こうで声を震わせる妹・・・・

 祖母が全身衰弱(老衰)と末梢循環不全で末期の状態にあり、命の火が風前の灯火であることは数日前、祖母に面会したときからその瞬間が近いことを悟り覚悟していました・・・

 でも、いざその知らせを聞くと・・・・・・

 ショックというか・・・ 脱力感というか・・・ 悲しさというか・・・ 寂しさというか・・・・
心にずしっと何ともいえない重々しい切ない感情がわきあがってきました・・・


 会社を早退し実家へと車を急がせます・・・・・
本来なら心臓が止まる前に祖母を看取りたかったのですが、こればかりは仕方ありません・・・
どんなに近くに住んでいても身内の死に目に会うのは難しいのだから・・・と自分に何度も何度も言い聞かせました。



〜無言の帰宅〜

 実家に着き、家の片付けしている妹に祖母の最後の様子を聞きながら祖母の帰りを待ちます・・・
仕事柄、無言の帰宅をされる方のお見送りをする事はよく経験しますが、逆に無言の帰宅を待つのはあまりないこと・・・ なんか、複雑な思いと言うか・・・ 祖母の死を信じることができませんでした。


 ほどなくすると、ヘッドライトをつけた霊柩車を先頭に数台の車が実家の前に止まり、シーツで包まれた祖母の亡骸を乗せたストレッチャーが降ろされ、仏間へと運ばれました・・・・

 布団に祖母を休ませ、全身をすっぽりと覆っているシーツをはぐり祖母の顔を見てみると、とても穏やかな顔をしていて・・・ 「あっ・・・、最期はあまり苦しんでいないんだなぁ」・・・ そう思いました。
 祖母の亡骸を布団に移すとき、身体に触れた叔父がぽつんと「身体はまだ温かいねぇ・・・」と一言・・・
確かに、身体に触れてみるとまだ祖母の身体は暖かさがあります。
しかし、「生」の証である呼吸や循環のサインは全く感じる事はなく全身の筋肉が弛緩し皮膚の色は土気色、見るからに生気が感じられません・・・
「ばあちゃん、亡くなったんだ・・・・」 
「これ、ばあちゃんの亡骸なんだ・・・・」
 この時点でやっと祖母の「死」というものを確信しました・・・。
画像
 でも、矛盾しているようですがそれを確信した割には思ったほど悲しい、淋しいと思う感情はあまりなくその実感も未だにありません・・・
ただただ、「あ、死んだんだ・・・・・」 漠然と、漫然と、事務的にこの言葉が何度も何度も頭の中を巡り・・・・
ただただ、ぼーんやりとしていたように思います・・・・・。


 
〜一息つくまもなく〜

 何をするでもなく、何をしたらいいか解らず・・・
静かに休んでいる祖母の傍らでただ祖母の顔を見ながら線香の火が絶えることの無いよう線香をつけ続けます・・・
そんな自分の横では、訃報を聞きつけた親戚がばたばたと集まり、これから行われる葬儀の打ち合わせを葬儀社の担当者と喪主である父、おじ・おばを交えて打ち合わせが淡々と行われています。

 普段だだっ広いと思っていた10畳の仏間もこの日ばかりは集まった親戚や知人などで所狭しとなって・・・
久しぶりに顔を合わせる人もいてどことなく同窓会のような雰囲気・・・

 そうしていると、普段からお世話になっている和尚さんがやってきて、同窓会のような雰囲気は一変に厳粛なムードとなり枕経が行われました。



〜川の字で〜
 
 枕経が終わり和尚さんとの今後の打ち合わせも終わり、その後も何かと雑用をこなしホッと一息ついたときには日付が変わろうとしていました・・・

 この日は突然のことだったのでおじやおばを初めとする親戚は家に戻ることとなり、この日は自分たち家族だけで蝋燭と線香の番をすることになり、祖母が休む仏間で川の字となり夜を明かすことになりました。



〜納棺〜

 夜が明け朝9時を過ぎると訃報を聞きつけた祖母の友人や近所の人たちが続々と弔問に訪れ午前中はその対応でばたばた・・・昼食をとったのは昼の1時過ぎ、弔問客の対応を伯母に任せ妹と自分はお燗に入れる祖母の縁の品を準備することにしました。

 祖母縁の品には、10年前亡くなった祖父と二人で写った写真や生まれ故郷の写真、好きだったたん切り飴、カンロ飴、そして幼くして亡くなった伯母ともあの世で遊べるようにとお手玉を入れ、生前元気なときに着ていた洋服をいれる事にしました。

 「納棺」というと昨年の映画でクローズアップされた「おくりびと」が思い起こされますが、これを機に自分たちが住んでいる地域でも「納棺の議」を大々的に行うようになってきていて、映画「おくりびと」さながらの演出を加えた納棺の議も行えるようでした。
しかし、派手なことと祖母自身が目立つことがあまり好きでなかった祖母のことを考えるとやはり、従来のこじんまりとしたこちらのやり方が祖母に合っているのではと自分の家族や親戚の意見が一致し昔からのやりかたで進めることにしました。

 陽が傾き始めうっすらと日の光が紅色になる頃、棺が運ばれ納棺の儀が粛々と始まりました。
自分の地域では、病院の死後処置で湯かんに相当する全身清拭、着替え、顔剃りや薄化粧が行われているので、この辺りは割愛されることが多く簡単に髪の毛を整えたり、お化粧直しをする程度で時間にすると10分もかからず終わってしまいます。
実際、祖母の場合も旅支度に白装束の手甲、脚絆、わらじを履かせ、髪の毛をまとめた程度で棺に納められ暫くお別れをした後、棺の蓋がゆっくりと閉じられお通夜が行われる葬儀社の斎場へ向かうため霊柩車へ再び乗せられました・・・・



〜 葬儀場にて 〜

 葬儀場に到着すると、既に会場では祭壇や花輪の準備が行われていました。
祖母が納められた棺も既に定位置に安置されていました。
 改めて棺に納められた祖母の顔を棺の覗き窓越しに見てしまうと・・・
「ばあちゃん・・・ 遠くに行ってしもうたとねぇ・・・」
急に隔絶されたようであんなに身近にいた祖母が急に遠く遠くどっか違う場所にでも行ってしまったかのように感じ深い悲しみと寂しさがこみ上げてきました・・・



〜 お通夜・告別式 〜
 
 お通夜、告別式・・・・ ただただ悲しみに暮れ涙するだけ・・・と思っていたら・・・
 式前から参列してくださるお客さんへの挨拶や式の最終的な打ち合わせなどで意外とバタバタするものでゆっくり悲しみに暮れる暇もないほどでした。

 でも、さすがに告別式の終盤、僧侶が退場し最後のお別れの儀では、さすがにこれが祖母の姿を見ることができる最後のチャンス・・・
「もう、この姿を見ることが出来ないんだ・・・」
「もうこれで二度と二度とばあちゃんの姿を・・・ 見ることが出来ないんだ・・・」
と思うと・・・ これまで我慢していた涙が一気にあふれてしまいました・・・

 ばあちゃんを亡くすことが・・・ ばあちゃんの姿が亡骸がなくなってしまうことが・・・
こんなに悲しいなんて・・・
こんなに淋しいことだったって・・・ 改めて思い知りました。



〜 火葬 〜

  
 祖母が火葬される火葬場は、昔からの古いおどろおどろしい火葬場ではなく豪華ホテルを思わせるような適度に明るい御殿のような近代的なつくりの火葬場でした・・・
でも、火葬場って自分は嫌いです!
火葬は、衛生上、お墓の土地利用の観点から優れているそうですが、遺族感情からすると実に辛いものだとおもいます・・・・

 だって・・・・ 死を宣告され、自宅の布団に休ませられるとすぐに腐敗防止のためドライアイスで氷みたいに冷たく冷やされ続けるのに今度は一気に灼熱にさらされ一部の小さい骨まで焼かれるのですから・・・・


 祖母の棺がカマの中に入って1時間ほどが過ぎ、収骨の時がやってきました。
収骨場に行くとそこには変わり果てた祖母の姿が・・・

 「人の死ってあっけないねぇ・・・」 思わずつぶやいてしまいました・・・

 祖母の骨は自分たち家族や親戚そして祖母との縁が深かった人たちで拾い骨壺へと収めました。


 


〜 ばあちゃんに捧ぐ言葉 〜


 ばあちゃん・・・  

 ばあちゃんと過ごした日々を振り返ると

 色んな想い出が たくさん たくさん 

 走馬燈のように 頭の中を駆け巡ります・・・


 告別式の時、スピーチをお願いされましたが、余りにもばあちゃんとの想い出が多すぎて
文章にまとめることが出来ず辞退してしまいました。


 ばあちゃん・・・

 ばあちゃんは、いつも、いつも、いつも 一途に 一生懸命に生きていたね

 女性だったからおしゃれな服着てきれいな化粧して自分の人生を楽しみたかったのだろうけど・・・
じいちゃんの商売を支えるため 骨身を削って頑張っていたね・・・

 商売を世代交代したときやっと休めるかと思ったのもつかの間・・・
何度となく病魔に襲われその度に命の危機にさらされたね

 しかし、ばあちゃんはその危機に一生懸命立ち向かい医師も驚くぐらいの回復をなしとげてきたね・・・

 その一生懸命に生きようとする姿は、何事にも一生懸命だったばあちゃんそのものでした・・・・


 
 これで・・・ これで・・・ やっと、楽になったね・・・

 もう、頑張らんでいいとよ・・・

 ゆっくりと、じっくりと休んでね・・・


 これまで・・・

 いっぱい・・・ いっぱい・・・

 ありがとう・・・


 もう一度言うけど・・・ もう頑張らんでいいよ・・・

 ゆっくりと、安らかにお休み下さい。


 そして ・・・ こんな事、言いたくはないけど・・・

 さ よ う な ら ・・・







 − 追記 −

 告別式の翌日の夕方、日が暮れてしまった西の空を見ると地平線にはうっすらと紅色空、そして地平線から遠ざかるにつれ青みが強くなっている空を見ていると思わずユーミンの「DAWN PURPLE」を口ずさんでしまいました・・・

 YOU TUBEに自分のイメージに近いユーミンの「DAWN PURPLE」がアップされていたので貼りつけておきます。
 もともとは恋愛ネタの曲のようですが、歌詞の内容がこのときの自分の心境にとても近い感じです。
とても良い曲なので是非聞いてみて下さい。








 なお、この記事については1ヶ月ほどアップした後、削除することがありますのであらかじめご了承ください。
もし削除する際には事前にコメント欄にて告知いたします。また、この記事は皆様から寄せられたコメントを含めプリントアウトまたは一太郎文書に変換し個人的に保管するつもりです。
  

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コメント(13件)

内 容 ニックネーム/日時
私は、23年ほどまえに祖父が亡くなり、その時初めて"生きていない人"に触りました。鉄のように冷たくてドキっとしました。その後、近い親類の死は経験していません。いつかまた その時が来た時、私はどうなってしまうか・・・。死は本当に切なくて、悲しくて、苦しくて、辛いですね。
気ままさんのお祖母さん、きっとまたステキな女性に生まれ変わって、幸せな人生を送っていくことだろうと思います。気ままさんの気持ちは届いていますよ。
さくらこ
2010/02/03 19:49
こんばんは〜
葬式一を回出すと、一気に疲れますよよね。
気ままさん、も体調管理に気をつけてください。

お祖母さんのご冥福をお祈りいたします。
としおちゃん
2010/02/03 19:57
さくらこサン
そうですよね・・・初めて生きてない人を触ったときの体験はとてもショッキングですよね。
職業柄、一般の人より死に立ち会うことが多くいつの間にか人の死に慣れっこになってしまってますが身内の死はまた違う面がありますね。
祖母は享年94歳、日本人の平均寿命から考えても大往生を遂げたと思います。
告別式では、深い悲しみに包まれましたがその反面、人生の卒業式みたいな雰囲気さえもありました。
気まま
2010/02/03 21:09
としおちゃんサン
そうなんです・・・本文には書くことではないと思ったので書いてませんが・・・
葬儀が終わると気力、体力とも使い果たした感じがしました・・・自己主張が強い親戚連中が多いのでそちらを束ねるのにとても、とても大変でした。
気まま
2010/02/03 21:13
私も祖母が亡くなった時のことは
鮮明に覚えてます。
病院にかけつけた時、もう意識はなく
そのまま亡くなりました。
告別式でお別れのときはホント悲しかったです。

気ままさんも大変だったですね。
お体に気をつけて、ゆっくりされて下さい。
むら智
2010/02/04 21:42
むら智さん
自分は祖母の死に目には間に合いませんでしたが、祖母の娘や息子に看取られて臨終を迎えたそうです。
亡骸とはいえ、お通夜の時まで祖母は身近な存在でしたが告別式を迎える頃には「もう二度と会えなくなる・・・」と思えてきてとても悲しかったです。

お気遣いありがとうございます。
初七日を迎えると大夫落ち着き生活も普段のペースに戻すことが出来ました。
気まま
2010/02/05 17:57
気ままさん、
小さい頃から可愛がって頂いた思い出があるだけに悲しみも大きいでしょうね。
私もここ5年くらいで祖母、実父、葬儀を終えたばかりの義母と身内の死に直面することが多くなりました。
 親しい者が時、記事にもあるように思い出と寂しさと悲しさ…、様々な思いが入り混じった何ともし難い重く重厚な感覚を受けます。
 私にとって、じっくりと故人の亡骸と向き合うことのできるのは、通夜式が終わった後から明け方まででした。思い出を語りかけ、たくさん泣いて、感謝の気持ちを伝え、「あなたがくれた愛情」を力にして逞しく生きてゆくことを誓う大切な時間でした。

お祖母さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
GAKU
2010/02/10 00:16
GAKUさん
祖父のときには、ゆっくりとお別れする暇もなく一気にお通夜−告別式−火葬が行われ、祖父の亡骸とじっくりお別れするときが無かったような気がします。
しかし、祖母の場合は「友引」が葬儀にかかったためじっくりとお別れする暇があり祖母の亡骸を前にじっくりとお別れをすることができました。

祖母は享年94歳、大往生を遂げたと思います。
告別式では悲しみに包まれましたが、それが終わると滅多に集まらない親戚も集まったので、同窓会みたいな、祖母の人生の卒業式みたいな感じで祖母や祖父が現役時代の懐かしい昔話で盛り上がりました・・・。

あれから2週間ほどが経つと生活はすっかり元に戻ろうとしています。
気まま
2010/02/10 08:32
しばらくパソコンを開けておらず、今日記事を拝見しました。自分のおばあちゃんと重ねて見てしまい涙がでました。きっと、病院でずっとずっと頑張ったんだろうなぁと思うと、人生の卒業式という言葉がしっくり来るようなきがします。そういうときの景色って、妙に覚えているものですよね。ご冥福をお祈り致します。
ルート
2010/02/27 14:58
ルートさん
祖母の「人生の卒業式」つい最近行ったような気がしていましたが早いもので、昨日(27日)でちょうど1ヶ月が経ち、この日に35日の法要を行い納骨も終えました。
これまで実家の祭壇に安置されていた祖母の遺骨もお墓に納められたことにより祖母の存在がまた遠くなったような気がして切なく淋しい気持ちになりました。
でも、祖母はこの世からいなくなっても何処かしら遠いところで温かく見守っているように思えてなりません。
気まま
2010/02/28 01:48
私も祖母を一週間前に亡くしました。あまりに突然で受け入れ方がまだよくわからずこちらのサイトまでたどり着きました。気ままさんの心中お察しします。命の流れのひとつとはいえ、大好きだった祖母と話すことができないことは本当につらいことですね。もう一度会いたい。そんな思いばかりがこみあげてきます。泣いてばかりではいけないと思いながらも、涙がとまりません。
咲良
2010/03/13 21:42
咲良さん
職業柄、人の死に立ち会うのは慣れている方だと思っていたのですが・・・
やはり肉親の死はとても淋しく悲しく、受け入れがたい事実でした・・・
祖母の死を聞きつけ祖母の遺体を目の前にしたときには「亡くなった」という実感はあまりなく・・・
葬儀が終わり、日が経つにつれヒシヒシと寂しさと悲しさがこみ上げてきました。
ホント、出来ることなら・・・
もう一度、生きている意思の疎通がとれる祖母に会ってみたいという思いが募ります・・・。
気まま
2010/03/13 23:00
祖母の死…に因んで短歌一首です、

あり通ひけだし末期にふるゆきの消なむ祖母はも笑まふ顔ばせ

2016/09/09 01:04

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