さよなら旧鹿家駅舎・・・
桜の見頃を迎えた4月上旬の日曜日、間もなく木造の駅舎の取り壊しが行われる鹿家駅で、旧駅舎を送る会が行われました。 「鹿家駅」で下車し、筑前前原行きの電車を見送ります・・・ 普段はほとんど人が居ない「鹿家駅」ですが、今日は旧駅舎に別れを惜しむ人たちで賑わってます。
鹿家駅の象徴的存在”桜”と鹿家駅・・・静止画では解りませんが桜の花がはらはらと散っています。
長年の相棒だった桜の木が、まるで旧駅舎との別れを惜しむ涙を流しているようにも思えます。
新駅舎ができてから数ヶ月・・・旧駅舎の玄関は閉ざされ入ることが出来ませんでしたが、この日は久しぶりに戸が開けられていました。 久しぶりに入る旧駅舎の待合室、中には鹿家駅に纏わる写真やイラストなどが展示してあります。
電化する前に活躍していたSLの写真や電化後に活躍する103系1500番台のPC画・・・ この駅が無人駅として現役だった頃、掲示板で塞がれていた窓口・・・ そのすぐ横には鹿家駅のペーパークラフトが置かれていました。
別れを惜しむ寄せ書きも・・・
そしてこの日、最も感動したのが! 木製のラッチが再現されていたこと!! 自分が鹿家駅の虜になってしまったのはこのラッチがあったからと言っても過言ではありません。
このラッチ、2009年頃まではそのまま設置されていましたが、翌年のSUGOCA利用開始に合わせ撤去されました。
自分が好きだったアングル・・・ 3年前の夏、お気に入りのコンデジを持って何枚もこのラッチの写真を撮ったことを昨日のように思い出します。
因みにその当時の記事は こちら↓http://55873184.at.webry.info/200908/article_8.html
このアングルも好きで、電車を絡めて撮ろうとしては失敗ばかりしてました・・・ 因みに、送る会が行われているこの日、ラジオ中継や地元シンガーや落語家によるライブが行われるため、そのための放送設備が設置してあります。
旧駅舎の玄関口横、桜の木の下にはお茶の席が設けられています・・ お茶を楽しむ人の様子を取材する地元TV局の姿もあります。
桜の花と相性バッチリな木造の駅舎ですが・・・ 駅舎の傷みが至る所に見られ、中途半端に補修された姿がなんとも痛々しいです。
若葉が目立ち始めた桜の木と朽ち果て草が生える木造の庇・・・ これを見ることが出来るのも今年が最後・・・
はぁ~ この駅舎が取り壊されるのはあまりにも惜しい・・・ なんとかして今からでも保存に向け動き出してくれないかなぁ・・・!?と思ってしまいます。
ここから4月8日以前の話になるのですが・・・
旧駅舎が閉鎖されて間もなくまだ桜の花が蕾だった頃、鹿家駅の様子を見に来た時のことです・・・ 新しいプレハブの駅舎から何気なく旧駅舎の窓にカメラのレンズを向けてみると・・・
一枚の窓ガラスにあるメッセージが書かれていました・・・ 雨風に曝される場所でもあったので一部の文字が消えてしまってますが・・・
kominkaさんのブログによると「みんなの 思いで こわさないで」と書かれていたみたいです。
これを見てしまうと・・・
どうしても壊さんと行かんと!?
どやんかしてもう一度、保存する方法を模索できんと!!
・・・と
悲しみのような・・ 憤りのような感情がわき上がってきたりするのですが・・・
Wikipediaを覗いてみると、新駅舎建設が決定されたときに地元からは旧駅舎の保存と活用の声が上がり、市もJR九州も前向きな姿勢を見せたようです。
しかし、傷みが目立つ駅舎の維持や管理の問題で実現できず・・・
とても残念な事に今年の夏、取り壊されることが決定されてしまったそうです。
これも時代の流れ・・・
生あるものはいずれ死を迎え、形あるものはいずれ朽ち果てる・・・
慣れ親しんだものが無くなるのは残念ですが、これも大自然の営みと同様に考えてみれば当たり前の事なんでしょうね。
鹿家駅の象徴的存在”桜”と鹿家駅・・・静止画では解りませんが桜の花がはらはらと散っています。
長年の相棒だった桜の木が、まるで旧駅舎との別れを惜しむ涙を流しているようにも思えます。
新駅舎ができてから数ヶ月・・・旧駅舎の玄関は閉ざされ入ることが出来ませんでしたが、この日は久しぶりに戸が開けられていました。 久しぶりに入る旧駅舎の待合室、中には鹿家駅に纏わる写真やイラストなどが展示してあります。
電化する前に活躍していたSLの写真や電化後に活躍する103系1500番台のPC画・・・ この駅が無人駅として現役だった頃、掲示板で塞がれていた窓口・・・ そのすぐ横には鹿家駅のペーパークラフトが置かれていました。
別れを惜しむ寄せ書きも・・・
そしてこの日、最も感動したのが! 木製のラッチが再現されていたこと!! 自分が鹿家駅の虜になってしまったのはこのラッチがあったからと言っても過言ではありません。
このラッチ、2009年頃まではそのまま設置されていましたが、翌年のSUGOCA利用開始に合わせ撤去されました。
自分が好きだったアングル・・・ 3年前の夏、お気に入りのコンデジを持って何枚もこのラッチの写真を撮ったことを昨日のように思い出します。
因みにその当時の記事は こちら↓http://55873184.at.webry.info/200908/article_8.html
このアングルも好きで、電車を絡めて撮ろうとしては失敗ばかりしてました・・・ 因みに、送る会が行われているこの日、ラジオ中継や地元シンガーや落語家によるライブが行われるため、そのための放送設備が設置してあります。
旧駅舎の玄関口横、桜の木の下にはお茶の席が設けられています・・ お茶を楽しむ人の様子を取材する地元TV局の姿もあります。
桜の花と相性バッチリな木造の駅舎ですが・・・ 駅舎の傷みが至る所に見られ、中途半端に補修された姿がなんとも痛々しいです。
若葉が目立ち始めた桜の木と朽ち果て草が生える木造の庇・・・ これを見ることが出来るのも今年が最後・・・
はぁ~ この駅舎が取り壊されるのはあまりにも惜しい・・・ なんとかして今からでも保存に向け動き出してくれないかなぁ・・・!?と思ってしまいます。
ここから4月8日以前の話になるのですが・・・
旧駅舎が閉鎖されて間もなくまだ桜の花が蕾だった頃、鹿家駅の様子を見に来た時のことです・・・ 新しいプレハブの駅舎から何気なく旧駅舎の窓にカメラのレンズを向けてみると・・・
一枚の窓ガラスにあるメッセージが書かれていました・・・ 雨風に曝される場所でもあったので一部の文字が消えてしまってますが・・・
kominkaさんのブログによると「みんなの 思いで こわさないで」と書かれていたみたいです。
これを見てしまうと・・・
どうしても壊さんと行かんと!?
どやんかしてもう一度、保存する方法を模索できんと!!
・・・と
悲しみのような・・ 憤りのような感情がわき上がってきたりするのですが・・・
Wikipediaを覗いてみると、新駅舎建設が決定されたときに地元からは旧駅舎の保存と活用の声が上がり、市もJR九州も前向きな姿勢を見せたようです。
しかし、傷みが目立つ駅舎の維持や管理の問題で実現できず・・・
とても残念な事に今年の夏、取り壊されることが決定されてしまったそうです。
これも時代の流れ・・・
生あるものはいずれ死を迎え、形あるものはいずれ朽ち果てる・・・
慣れ親しんだものが無くなるのは残念ですが、これも大自然の営みと同様に考えてみれば当たり前の事なんでしょうね。
この記事へのコメント
お別れだというのに・・・紅白の垂れ幕を見た時にはなんか複雑な気持ちでした。
でも、白黒よりマシですね。
やはり今後の維持費用やメンテナンスの関係を考えると自治体もお金を回せないというジレンマ…
出来れば、駅舎の前にミニチュアで再現してもらいたいですね。(名鉄の本宿駅も立体交差工事完了後、旧駅舎は取り壊され現在はミニチュアで保存されています)
この駅舎の保存に向け移築することも考えられましたがやはり工費などの問題で実現できませんでした。
駅舎のミニチュアとまではいきませんが、この駅舎のペーパークラフトならHPで公開してあるようです。
私もとても残念な思いになりました
最後の写真、素敵ですね!
大きな桜の木があってとても絵になるのに
残念ですね~。
桜はそのままなんでしょうかね~。
木造の鹿家駅舎は築74年、古い駅舎には100年過ぎているものも存在しているので、こちらはまだ若い方なのかもしれません。
しかし、近くに海があるため潮風で傷みが激しく現状維持していくためには色々とコストが嵩み小さな市の予算ではなかなか難しいみたいです。
でも、壊すのは惜しい!というのが本音なんですよねぇ・・・
そうですね、駅舎は仕方ないとしても桜だけは後生に末永く残していって欲しいですね。
せめて。記憶とかノスタルジーとか、思い出というくくりで、めいっぱいしたつもりです。いろいろ行き届かないところも多かったと思いますけれど「楽しかった」「よか思い出になったよ」と言ってもらえただけでもいいかな~と(目標が低い?)、お礼に回りつついろんな方と話しています。
あと。新聞・テレビを見て連絡してくださった方ともお話したり、寄せ書き・pc画・写真・スケッチなどを少し印刷して、関係者の方に配りたいと考えているところです。もちろん解体が始まったら、張り付いて写真を撮るつもりデス(涙涙涙)
沢山の人に集まってもらって、素敵な歌までつくってもらって・・・木造の鹿家駅舎も大変喜んでいると思います。
kominkaさんをはじめ今回の企画・運営をされた方々に敬意を表すと共に感謝いたします。
本文にも書いていることですが、本来ならこのまま保存・活用の道が一番いいことですが・・・
やはり、傷んでいるところを補修して維持・管理していくのは大変な事ですもんね。
「目標が低かった?」いえいえ、全然そんなこと無かったと思いますよ。
また駅に訪れた方一人一人にお持てなしが行き届いていたし、無料のおにぎりは本当に美味しかったです。
楽しい一時を有り難うございました。
旧駅舎の取り壊しまでもう暫くありますし、これからも旧駅舎の記録を撮り続けていこうと思います。
駅舎として使い続けるのは無理なんやろうけど、
少し改造してカフェか直売所にするとか、
いろんなことが考えられると思うけどね。
浜崎駅や虹ノ松原駅もいずれ壊されるとかいな、
筑肥線の歴史ある駅舎を出来る限り残して欲しいですね。
鹿家駅舎の場合、地元の方がかなり努力されていたし、JR側もそれに応えていたようですが・・・・
やはり、海風や無人駅でメンテが行き届かなかった為か予想以上に痛みが激しく補修するにも維持するにも難しい状況だったみたいです。
浜崎駅は一応有人駅で快速列車も止まる主要駅の一つでメンテが行き届いているはずだし、虹ノ松原駅は近年補修したばかりなので当分の間は安泰だと思います。
あの駅舎は古くて傷みがひどかったのでやむなく撤去なのかなとおも思いました。久大線の庄内駅もかなり古かったですが、痛み具合が駅によって結構ちがうようです。
木造の鹿家駅舎、傷みが想像以上に酷かったみたいですね。
同じ筑肥線でも黄色いキハが走る西線には今にも崩れそうな肥前長野駅のボロボロな木造駅舎があるのに鹿家駅が先に崩されるのはちょっと不思議な気がします。
こうして鹿家駅の事が気ままさんの記事の中にしっかりと残った事は良かったです。
そうですね・・・これこそ「どうにもならん」って状態なんでしょうか。
こうなる前にちょいとメンテしてあげるだけでもっと長持ちしたと思うんですけど・・・
もう過ぎてしまったことを悔いても仕方が無いんで、こうした記録を残すことで後世へ伝えて行ければと思います。
Blogの更新を停止して、今は地味にFacebookをやっています。
さて本題ですが、先月末に駅舎がとうとう解体されました。
それを先日知り、足を運んできました。
土台部分を残して駅舎の面影はありませんでした。
解体工事はまだ続いているので、
土台部分もいずれは姿を消すかもしれません。
しかし「粋な計らい」が新駅舎になされていました。
それが何かについては、、、
是非、足を運んで確認してみてください(^^)/
お久しぶりです (^_^)/
そうですね、とうとう鹿家駅舎が取り壊されてしまいました。
先月末だそうで、今月に入った直後鹿家駅を通過する電車の中ですっかり姿を消してしまった旧駅舎の様子を見て愕然としました。
新駅舎に粋な計らいですか・・・
とても気になるので近いうちに行ってみたいと思います。